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第59回 女性天皇についての予備知識(2001/12/1)

 

 皇太子殿下にお子様が生まれた。内親王殿下である。まずはめでたい。新宮様が健やかにお育ちになり、皇室にいやさかがもたらされることを祈るばかりである。

 

 さて、これで皇族方は24名となったわけだが、今年32歳になられた紀宮様以来、9人続けて女宮のご誕生となった。何と秋篠宮殿下以来、35年間男宮のご誕生がない。というわけで、これによって、皇室典範改正の議論が再燃することは必至だ。

 天皇家に関する基本法である皇室典範には、次のように記されている。

第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

つまり、女性天皇の可能性を認めていない。これは、明治憲法下に存在した旧皇室典範でも同様である。

 明治憲法では、権利関係について男女の間に明確な差別を設けていたから、憲法と皇室典範の整合性はあった。だが戦後、新憲法で男女同権が定められて以来、憲法と皇室典範は明らかに不整合を生じている。ほんとうなら放置していてはいけないはずだ。

 これについては、男女差別を公認した旧憲法の残滓が皇室という特別な領域に残った、という解釈がある。しかも男子の皇位継承者がいなくなるかもしれないという状況が後押しをして、小泉首相は「個人的には女性の天皇でもいいんじゃないか」と述べ、自民党でも典範改正への動きが始まっている。

 世論調査もおおむね女帝に好意的で、先般の調査では53%が女帝容認という結果が出た。王制を敷く世界の国々のうち8ヶ国が女性の王位継承を認め、イギリス、オランダ、デンマークでは現に女王を戴いているという現実もある。何より、我が国にしたところで、過去に8人の女帝が在位したという「実績」もある。これらから、「だったら別に女性天皇でもいいんじゃないの」という意見になるのは当然だ。

 

 だが、話はそう簡単ではない。それには歴史的な経緯や政治的な問題など考えなければならないことがある。あまり安易に女性天皇容認という方向にはいくべきではないと僕は思っている。

 誤解を招かないように言っておくと、僕は別に女性天皇でもよいと思っている。ただ、女性天皇を認めることになったら、クリアしなければいけない問題があるのだ。その問題の所在を、歴史的な経緯を紐解くことによってはっきりさせておきたい、ということである。 

 

 それではまず、過去にも女性天皇を我が国が認めてきた、だからいいじゃないか、という論点について。確かに、女帝はいたが、決して我が皇室は女帝を正統と認めてきたわけではない。繰り返しになるが、初代神武天皇から今上天皇陛下まで125代の天皇のうち、過去に女帝は8人10代存在する。(西暦は即位年〜退位年)

第33代 推古天皇(592年〜628年)
第35代 皇極天皇(642年〜645年)
第37代 斎明天皇(665年〜661年)※皇極天皇の重祚
第41代 持統天皇(690年〜697年)
第43代 元明天皇(707年〜715年)
第44代 元正天皇(715年〜724年)
第46代 孝謙天皇(749年〜758年)
第48代 称徳天皇(764年〜770年)※孝謙天皇の重祚
第109代 明正天皇(1629年〜1643年)
第117代 後桜町天皇(1762年〜1770年)

となる。重祚(ちょうそ)とは、同一人物が二度皇位にのぼることである。そして、日本史上重祚があったのは上記の二度だけである。 これらの女帝はみな、政治的あるいは血縁上の理由で、男子の後継者を立てられないために即位した女性たちである。たとえば日本初の女帝・推古天皇は、前任の崇峻天皇が馬子の謀略によって暗殺され、皇室直系の厩戸皇子(聖徳太子)の即位を嫌った馬子が、自分の従妹であり敏達天皇皇后だった額田部(ぬかたべ)を天皇に推したのである。

 皇極(斎明)天皇は、聖徳太子の子・山背大兄王暗殺というきな臭いなかで、夫天皇の死後誰もなり手がいなかったために即位。大化の改新で蘇我氏が滅亡したときにいったん弟の孝徳天皇に皇位を譲るが、孝徳天皇が中大兄皇子との政争に敗れて病死するとふたたびなり手がなく皇位にのぼった。斎明天皇の後には、ついにその他の皇位継承者がなくなり、中大兄皇子が天智天皇として即位することになる。

 第40代は10代のうち半分が女帝であるが、これはそれだけ政情が不安定だったことの証左でもある。

 持統天皇は天智天皇の弟天武天皇の皇后であり、壬申の乱にあたっては夫とともに近江朝廷を滅ぼして、おそらく皇室史上もっとも強大な政権を飛鳥に築いた。このあとの展開はSFの名作『宇宙皇子』に詳しいが、持統天皇は自分の息子草壁皇子を次の天皇とすべく、天武天皇が他の后に生ませた他の皇子たちをあるいは奸計で暗殺し、あるいは服従を誓わせていた。ところが肝心の草壁が即位前に28歳で病没、他の皇子に皇位を継がせることを拒んだ持統天皇は自ら即位し、草壁の子・軽(かるの)皇子が成人するまでをつなぎ、皇位を渡さなかったのである。

 ところが、軽皇子は成人して文武天皇となったものの若くして病没、その皇子はいまだ幼く、この皇子が成人するまでを草壁の后で文武の母だった元明、そしてその娘元正がつなぐことになる。この間に、藤原京遷都、平城京遷都という大イベントがある。ようやく大きくなり、元正から位を譲り受けたのが、東大寺の大仏を造営した聖武天皇である。

 孝謙天皇はその聖武天皇の娘で、母ははじめて皇室外から嫁いで皇后となった藤原光明子である。聖武と光明子の間には一男一女があったが、男子は2歳にて夭折し、他の後継ぎがなく即位した。やがて淳仁天皇に皇位を譲るが、藤原仲麻呂の乱に際して僧道鏡を重用、淳仁天皇を廃してふたたび皇位にのぼる。その後は道鏡の専横を許すことになる。

 道鏡の一件に懲りたのか、それから一千年近く女帝はいなかったが、江戸時代に入って、名君として知られる後水尾天皇が、幕府との確執から突如退位をする(俄の御譲位事件)という事件がおきる。後水尾には、徳川秀忠の娘にして皇后の東福門院和子との間に2男1女があったが、二人の皇子はともに誕生からまもなく夭折(徳川家の血の入った皇子を嫌った謀殺説も有力)したため、突然の上位に皇位継承者がなく、明正帝が即位することとなった。最後の後桜町天皇も、父桜町天皇から甥後桃園天皇までのつなぎであった。

 

 かくして、女帝があくまで「リリーフ」であることがわかる。明正天皇が即位するときに、幕府が女性であることを理由に即位承認に難色を示したのもそれゆえである。

 日本における神道の大元締めである神社本庁などは、「女性天皇なんて、けしからん」というようなことをついこの間までサイトに載せていたのだが、典範改正問題が頻繁になってきたせいか、その部分は削除されてしまった。まあよい。

 

 さて、ここまで詳細に記してきたのにはわけがある。読者諸賢には、これら女帝に共通する要素があるのだが、おわかりになるだろうか。

 それは、これらの女帝が、皇室の直系であることはもちろんのこと、皇后ないしは未婚の皇女だということである。つまり、「ただの夫」をもった女帝はひとりもいないのだ。これが女性天皇に対してクリアすべき論点となる。

 推古天皇は敏達天皇の皇后だった。持統天皇は天武天皇の皇后で、元明天皇は皇太子草壁皇子の第一后だった。元正天皇は生涯独身を通すことになった。孝謙天皇も、後世道鏡との仲を揶揄されることになるが、生涯結婚しなかった。明正天皇と後桜町天皇はそれぞれ皇位を譲ったあとに結婚している。つまり、天皇や皇太子以外の男性と結婚していた女帝というのは、歴史上いないのだ。

 もちろん、現代において女帝の夫となって権力を握ろう、などという家があるわけもなかろうが、女性天皇の結婚を想定し、また、ゆくゆくは次の天皇の父となる男性をどこから選ぶか、ということは、明文化はされずとも意識しておく必要がある。たとえば僕のようなものは駄目である。家格が低すぎる。それを恥じているわけではないが、女性天皇の問題は、貴族制だとか、宮家の問題をなんとなく復活させる可能性がある、ということだ。

 現在でも、女性の皇族方が降嫁される先はそれなりの家柄である。たとえば島津家であり、鷹司家である。必然的にそういう家柄が選ばれてはくるのだろうが、それがこれまで以上に意識化されるであろう、ということだ。

 僕自身は少々の貴族制はかまわないと思っているし、いまの参議院の醜態を見ていると、実権のない終身議員の貴族院にしてしまえばいいのに、と思ったりもする。女王の先進国イギリスでは、女王の夫にふさわしい家柄、たとえば現在のエリザベス女王の夫エジンバラ公のような家柄がちゃんと準備されているから、女王でもいっこうに困らない。かつてアン女王は、オランダ人の夫を連れてきて共同統治をしたりしている。

 本質的には、君主制が似合う国には君主制をやればよいのだ。似合う、というのは、その国の政治、経済、地理、歴史的な文化風土において君主制が似合っている、という意味である。僕はイデオロギーを大事にするほうだが、女性天皇や貴族制が現代日本の文化風土を著しく変えてしまうとは思えない。もしそのことが文化的な安定を乱さないのであれば、それを拒否する理由は何もない。

 最近たまたま読んでいる福沢諭吉の『文明論之概略』には、このような一説がある。

彼の皇学者流はなお一歩を進めて、君主を奉尊するに、その奉尊する由縁を政治上の特質に求めずして、これを人民回顧の至情に帰し、その誤るの甚だしきに至りては、君主をして虚位を擁せしむるもこれを厭わず、実を忘れて虚を悦ぶの弊なきを得ず。(岩波文庫版、268ページ)

 僕は福沢ほど明快に割り切っているわけではないが、君主制度は「人民回顧の至情」も含めての得失の上でいればよいのである。いちぶの右翼や神道系の主張は「実を忘れて虚を悦ぶの弊」が見え隠れしている。
 それにいまの日本は、もっともっと大きな問題を、政治・経済両面に抱えている。女性天皇については、以上の知識さえあれば、どうなろうとかまわない、というのが偽らざる気持ちである。おそらく、そのことによって一国の運命が左右されるわけでもない。開かれた皇室というのであれば、よく議論されたうえで決まったことならおおいにけっこうである。


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